ポツンと一軒家を観て幸せについて考えた

いつだったかポツンと一軒家という番組で岩手の山奥の一軒家を紹介していた。その家主は元々山奥で畜産を営むはずだったが動物を殺すことに耐えられずに廃業。喫茶店を営む傍ら、山中に青少年が自然と触れる場を作ることと自身らの楽しみのために仲間とともに小屋や施設を建設していた。朝早くに山に行き、小屋の外で木々に囲まれながらコーヒーを飲む姿にはめちゃめちゃ憧れた。

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 仮に自分が一人で同様なことをして同じくらいの感動が得られるだろうか。そもそもいずれ辞めてしまうだろう。仲間がいてこそであるし、行為は建設であり生産的である。一人で何かしてもつまらないし、仲間と酒飲んだりスポーツするのも楽しいがむなしい時もある、仲間とともに生産的な行為をしてなおかつ地域のこどもたちのためにもなるという行為はなかなか幸せのレベルは高いといえる。楽しい行為、仲間との共同行為、社会的に価値ある行為というわけだ。こいつあいいや。

実りある人生のために趣味は重要であるが長い人生なのだからそこには生産性や他者との関わりが欲しいものだ。陶芸を趣味として近隣の愛好家と交流したり、自作の皿を欲しがる人にあげたりという流れである。野球を続けた青年は社会人となって後進の育成に励むというパターンもある。

まんま私の友達である。うらやましいね。

 そういえば高校の先生にめっちゃボランティアにいく人がいた。結婚していない高齢女性だったがなにか災害があるとボランティアに行く人で活動的だった。災害現場でボランティアに来る人はどんな人たちなんだろうか。そこでの出会いというのも興味深いし彼らといずれ酒でも酌み交わせたらいい思い出になるだろう。自分が社会のために働いているという実感、同じような人との出会い。その後いい酒が飲めそうである。正直その人の授業はあんまり進みが遅くて人物としても少し嫌い気味だったがこうして考えると自分にとって多様な幸せの形を示唆してくれていた人だったのかもしれない。もっといろいろと話を聞いてみればよかったな。

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