「七つの習慣」実践 「刃を研ぐ」ということ

 大学生はその時間の使い方において本人の裁量とできる部分が高校時代と比べて大きいといえる。日々遊び歩くも自由であるし、図書館で勉強したり、バイトに励んだり、一生において一番恋愛をするのもよい。それぞれにどう時間を割り振るかは自由っちゃ自由である。されどもう少し意識の高い人は享楽的な日々に疑問を持ってしまう。そういう人はただ楽しむだけでは満足できないので何か別のことをするのをおすすめする。高校時代に色々と自己啓発書を読んだ経験を踏まえてこの「七つの習慣」は名著であると考える。自己啓発書のいい悪いを見分ける際にはポイントがある。それは「穏当な内容である」ということだ。突飛な内容だったり、過激に過ぎる内容だと一般向けではない。自己啓発書を開く我々は至極平凡な人生を送っているのだから「会社なんてやめちまえ」と言われても正直困る。そもそもみんなが仕事辞めたら社会は大変なことになるだろうしね。だから我々一般人にとってためになる自己啓発書とは結構穏当な内容のものこそが良かったりする。バカと一切付き合うなと言われてもやっぱ付き合わなければいけない場面というのは社会のおいて往々としてある。むしろ付き合う際のマインドを教えてくれる方がありがたいしためになる。

大学生にとっての「刃を研ぐ」ということ

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大学生時代はただただ遊んでいても文句は大して言われない。されど意識高い人(というか大多数の人)はただ遊んでいる日々に不安を感じてしまう。私なんかは友人と過ごす時間にも価値を感じるがやっぱり享楽的だなあと興がさめてしまうこともある。結局楽しむことと学ぶことのどちらかに傾くのではよろしくない。そこで自分にとっての「刃を研ぐ」ことが重要になる。語学でも資格勉強でもいい。プログラミングを勉強したりと自分の武器を造る。この際に重要なのはその武器のレベルではなかったりする。無論高度な技術を身に付けるに越したことはないがむしろ重要なのは継続して生産的に何かを取り組めるということが大事だ。たとえとった資格が就職先と関係なくともその資格勉強で鍛えた自己管理や継続するという能力は必ず役に立つ。

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やっぱり中庸は大切である

 そもそも要領が良ければ遊びつつも自分の勉強を続けることは十分に可能である。大事なのはオンオフの切り替えだったりしよう。また刃を研ぐためには他人に流されないメンタルの強さが必要である.私なんかはブログで収益を出すことを目標としているがこの業界はやはり世間の目はそれほど優しくない。怪しく思われたり妬まれるのが関の山だろう。妬まれるほどの収益が出せているのであれば嫉妬の目も気持ちの良いものに思えるがね。それだけに孤独な作業を強いられることはやむをえない。どの勉強でもその孤独を受容できなければ何事もなすことができない。そういう意味では孤独に強くなければ何もできない。されど独りよがりというのも望ましくない。社会との隔絶や思考の偏向を招いては結果社会との折り合いがつかなくなってしまう。結局中庸的であることが大事だということ。