人生において風呂代だけはケチりたくない

単身1人暮らしだと友達の中には節約のために湯船に入らないという人が結構いる。

確かに一人ぐらいしにおいて一人のために湯を張るのはきわめて非効率である。水道の無駄遣いが環境に負荷をかけ…かけるのだろうか?水じゃん。電気の無駄遣いは発電に火力発電が日本で中心である以上環境によろしくないというのは理解できる。水はなんでなんだろうね。ググってみよう。ググったところ飲用可能な水が少ないことと油を流すなど水を汚さないことの大切さは理解できました。汚さなきゃいいんじゃ...とも思いますが無駄遣いするなという社会の潮流に身を任せたいと思います。

個人の風呂使用の最大のネックはやはり水道代とガス代ですね。風呂に入るか入らないかは風呂に入ることによるメリットとコストの比較考慮というわけです。なんだか法律学みたいですね公共のための制約と人権の間での利益衡量論って感じで。水道ケチるか否かと同列にしていい話じゃないですね。

 風呂はまずあったかい。風呂は命の洗濯であるという言葉を残した人物がいるがパッと思いついたのがヱヴァンゲリヲンミサトさんだったが正しいのかうろ覚えである。著名な哲学者の言葉だったような気がしないでもないがやっぱりミサトさんなのかもしれない。風呂に入らない理由として節約が挙げられるがその考え方にも私は反対である。そもそも過度な節約志向全般に言えることだが削るよりも増やすことに思いを致すべきではないのだろうか?世の中には稼ぐ手段がいっぱいある。熟練の人であればやかましい機械の前で数時間座って銀玉で遊ぶだけでお金を得ることができる。安心していただきたいこの遊技はどうやら賭博ではないらしいので安心である。色々と働き方はあるのだから風呂代くらい気にせずに入りたいものである。ちなみに私はパチンコはやらない。だって負けるから。10分で千円消えて腹が立ったので帰りにはチャーシュー麺を食べてきた。私の場合としてはぜひともブログを収益化することで風呂代を稼ぎたい。風呂代というとなんだかいかがわしいようだがそっちはそっちで大歓迎である。

風呂に毎日入るためならば記事の更新など苦ではない。まったくもってつまらぬことに気にしなくてもいいほどの金の余裕を持ちたいものですね。なんともわずらわしい。