大学で部活をすることは時間の無駄なのだろうか?

大学生活と高校生活を比べると大きく違う点は時間の使い方においてそれぞれ個人に大きな裁量が認められているというところだろう。勉強に精を出す、サークルや部活を頑張る、いっそ恋愛に生きてしまうというのも自由である。まあこの場合の自由とは個人の責任の下での選択の自由であってその選択による結果はその後の人生において受容しなければならない。あんまり楽しみすぎちゃうのは如何なものかと思うゾ(/ω\)

大学生活は自由だが時間には限りがあり、さらに夢を見られる時間は得てして短い。それだけに大学生活において部活をするのは時間の無駄という指摘もまあまあある。そこらへんについて掘り下げていく

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大学生活は自由、それなのになぜ自ら縛られに行くのか?

「大学生活は自由」なんて言うと疑うことを知らない中高生諸氏が目を輝かせてしまうから一応言っておくが工学部なんかは結構二三年になると奴隷労働の未来が見えてくる

さらに大学院生にもなるとそんな生活になんの違和感も無くなったりする。生命の環境への適応力にはつくづく驚かされる。あ、文系は結構暇です。大学生活は自由という言葉は社畜の泣き言だったりするので注意が必要。また仕送りの額によっては大学生の身でありながらバイトで社畜労働する羽目になる。生き急ぎすぎだよ( ^ω^)・・・

まあでも大多数はかなり暇な大学生活においてなぜわざわざ時間を縛る選択肢を選んでしまうのだろうか?

その答えとして人はそもそも時間的な自由なんて望んでないのだと思う。多少面倒な時があっても人間暇よりはマシと考えるのかもしれない。部活いきゃ人はいるし、なんだか大学生活を有意義に過ごしていると思える。社会的にも部活に精を出すことはそこそこ評価される。就活とかね。部活はいるにもその種目に強く魅力を感じて...という場合もあれば、コミュニティが欲しくて種目自体はそこまで...というケースもあろう。淋しさと無為に耐えられなくて部活なりコミュニティにはいるというのは私としては強く肯定したい。宗教だって似たようなもんだし。そのミニチュアかつ健全版と考えればいいさ音楽、ミュージシャン、演奏、男、フルート

 

 

結構お得かも?

部活、それも文科系部活がそろっているのは大学のいいところだろう。茶道や書道や音楽系団体に社会人になってから全くの素人が入るのは結構な情熱とコミュ力がいる。茶道とかだと年齢層も高めだろうし、世代の離れた人との交流能力が要求される。大学の部活サークルであれば同年代かつ比較安価、大学施設の使用による手軽さといったメリットがある。人と人との交流のみならずこのようなメリットがあることを考えれば手軽に一生の趣味を得られる大学での部活動は結構お得な選択といえるかもしれない。人生において自分の特技がないというのはちょっと悲しい。趣味であればラーメン巡りでもアニメでもいい訳で受動的な立場でも楽しめるが特技となると能動性を求められる。尺八や笛を吹けたら夏祭りとかで活躍できるしいろんな感動を味わえそうよね。

 

部活と言ってもその頻度や時間的制約はその部によって大きく異なる。新歓時期にビラをもらった縁で一生の趣味だったりライフワークを得られるかもしれないわけで大学での部活動を無駄と決めつけてしまうのは少々早急にすぎるかもしれない