今後国立大学は規模を縮小していくのだろうか?狭まる私大との学費の差問題

少子化が進む中で大学入学希望者数が全大学の定員の合計を下回り、理論上はすべての学生が大学に無競争で入れる大学全入時代となっている。まあそうなったところで上の大学や有名大学では競争が生じるので意味がないと言えばそうなのかもしれませんが。

 若者の都市部への流出によって主に地方国立大ではレベルの低下が叫ばれている。まあ希望者が減ればレベルの低下は仕方がないことかもしれません。結果として国立大の中では産業界のニーズに合わせた学部再編や規模を縮小してレベルの維持を図るところが出始めています。うーんどうなんでしょうね。これは果たしていいことなのか悪いことなのか…。特に地方国立大学はその周辺県の行政、教育、産業、医療を支える人材を輩出しているわけですからね。教員のような今後減る分野の縮小はいいとしても理工系の人材を減らせば地域の産業界は困りますよね。まあこういう時に真っ先に減らされるのは文系と相場が決まってますからそっちが先でしょうね。

 

大学によって対応が異なる

国立大学といっても序列が存在します。旧帝大や旧官立大、医科大学から商科大学、その前身母体やレベルによって現在も求められる人材や大学の在り方が異なります。

特に国立大学の中でも規模の面での差は著しいです。単科大学を差し引いて一県一つの総合大学的な存在で比較すると東京大学だと1万4千人ほど、福井大学秋田大学などでは4千人ほどの学生数です。一般に旧帝大などは1万人を超える学生数を誇っており、これは東北大学なら東北や周辺地域に広く高度な人材を提供するという役割があるためですね。国立大学では周辺地域の人材供給のためにおいそれと規模縮小というわけにもいきません。むしろ入学難易度は低くなっても定期試験のレベルの向上や教育に力を入れることで最悪どんどん留年させてレベルの維持を図った方がいいのではと思います。入学時の偏差値ばかり気にするのではなく、一番重要なのは卒業時に優秀な人材になっているかどうかなのでそっちを主眼に入れた方がいいのでは?理系就職では偏差値以上に現場や研究で使えるかどうかが重要視されるので企業も偏差値以外の尺度で見ていそうですよね。あの大学の学生はしっかり教育されてるなあと。

 

 国立大の学費が上がるかもしれないという件には大変憂慮していますね。そもそも国立大の学費が安いのには貧困層でも優秀であれば安い学費で十分な教育が受けられるというセーフティーネットでもあるわけですから。私大と比べてあまり差があってはいけないとか考えてるやつらはもう何考えてるんでしょう。私立高校に通う生徒が私学助成金をカットした大阪の橋本知事と対談する動画がありますがどう思いますかね?私としては無償化はまずちゃんちゃらおかしい。高校では公立もレベルは様々ですよね?地域にいくつかあるもんだしわざわざ私立高校に行かせる必要はない。特別なレベルの高い教育を求めたり、公立に入れないレベルだから私立に行く場合になぜ税金で補助を出して公立と同額の待遇にしなければならないのか?むろん多少の補助はいい。私立には金持ちしか入れないというのを是正することは間違っていない。されど公立と同じになるまで補助するのでは公立にいくインセンティブが失われる。一般に私立では設備が良かったりする。そういうとこに通うなら相応の金がかかるのは当然ではないか。

 話を私大にあてはめよう。私大は全大学の7割を占めるだけに国家が補助するのは当然であろう。医療系の人材などをすべて国公立でまかなうなんて不可能である以上国家が補助するのは当然である。たまに私大に税金で補助するなという意見の人がいるが過激に過ぎるだろう。されど数が多すぎるのも事実である。意味もなく大卒が増えるととてもよろしくない。なぜなら大学進学率の上昇は進学しなければならないという社会的プレッシャーとなる。親は子に大学まで行かせることを前提にして育てなければならない世の中になると育児にかかるコストが跳ね上がることになる。そのうえ大多数が大卒であればそこに優位性はない。親は苦労して大学に行かせるがいったところでいい就職に付けないのであれば目も当てられない。昭和の時代に子供が5~6人が当然だった理由は中学までいかせれば上等という時代だったからだろう。昔読んだ少子化について綴った新書で一番の解決法は社会を昭和初期レベルに戻すことだがこれは実現不能だそうだ。中卒で働けなどとは言わないが平均的な学歴が上がるにつれて育児のコストが高まる以上は相応の対価が得られないのならばいたずらに大学進学すべきではない。むしろしなくても十分な収入を得られる社会であるべきなのだ。今の時代奨学金の学生も多いんだし企業もなんでもない仕事に大卒の肩書を求めるべきではない。若者が疲弊するだけである。