銀河英雄伝説 戦略と戦術の違いと社会考察

銀河英雄伝説という作品をご存知だろうか?年代としては1980年代作品であるから今の若者にとってメジャーとは言えないかもしれない。されど今でもヤングジャンプで作画を変えて漫画版が新しく連載されたり、新作アニメが放送されていることから世代を問わず長く愛されている作品である。この作品ではSF戦記ものでありながらバトルシーンよりも政治的な葛藤や哲学的命題が魅力である稀有な存在だ。作中では衆愚化した民主政治と最良の君主を戴く専制政治のどちらが民衆にとっていいのか?という問題や民主政治の迂遠さが印象的に描かれている。今回はタイトルの通り作中における戦略と戦術の違いを考察する。

戦術とは、戦場において勝利を得るために兵を動かす技術である。

戦略とは、戦術をもっとも有効に生かすための条件を整える技術である。 

銀河英雄伝説田中芳樹より引用

 例えばプレゼンにおいては戦略はどんなテーマにするか?どこをアピールするか?目標を定めることと達成のための手段を練る構想の段階であるといえる。いわば事前の準備だ。一方戦術とは当日のプレゼンでの声の抑揚や身振り手振りであるといえる。その場においていかに説得力あるプレゼンができるかという技術の範疇といえる。

作中においては徹底的に戦略>戦術として描かれる。バトル物では戦場での用兵に華があるだけに取りざたされがちだが、銀英伝では繰り返し戦術レベルでの勝利は戦略レベルでの失敗を補完しえないとしている。いくら勇猛で用兵に優れた将帥がいても戦略的に破綻している作戦は無理がある。このことは日常生活やビジネスにおいても同様である。現場レベルの努力や工夫のみに頼むようでは長期的には敗北を余儀なくされてしまうのだ。

 特に学術研究の世界でこの考えが重要であると思う。優秀な学者の個人的な努力も大切だが結局国の高度な技術を支えるためには国家による環境づくりが大切であるといえる。結局どれほど金をついやせるかということに帰着したりする。現在の学術研究の世界に「選択と集中」の理論をあてはめて役に立つか立たないかで予算獲得を困難にすることは中々よろしくない。優秀な研究者が予算獲得に苦労する姿はなんとも悲しいものだ。ろくに資源もなく農業でも食っていけない国なのに技術捨てたら何が残るのか…未来への投資である学術研究のためであれば少しの増税をしたっていいくらいに思える。

特に若者の博士課程に進む数がずいぶんと減っているらしい。大学側も若手研究者に十分にポストを与えられていない。そもそも学者が金に苦労するのは昔からのことだ。どうにも日本では突き詰めた技術や努力に対して十分な対価が払われていない気がする。研究者や職人が金のことをいうのはなんだか批判されがちだし、儲かるから研究者になるという人は少ないのではないか。高度な技術の開発という目標があるならば現場で叱咤激励することなどより十分な環境を与えることこそが大切なのだ。国にしろ会社にしろ戦略を練る上層部が一番大切ということに思える。